『南京大虐殺の捏造と真実』兵士たちの遺言と証拠写真を検証する

APAホテルの元谷代表執筆の『本当の日本の歴史 理論近現代史』に「南京大虐殺の真実」として南京事件を否定した本が、同ホテルの部屋に置かれていたことがYouTubeで拡散されネットで炎上しました。「南京大虐殺の真実」とは何か、南京事件を再度検証してみましょう。

『南京大虐殺の捏造と真実』兵士たちの遺言と証拠写真を検証するのイメージ

目次

  1. APAホテルで再燃した「南京大虐殺」論争
  2. 「南京事件」と呼ばれるもの
  3. 侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館
  4. 「真実」は何か。南京大虐殺論争
  5. 朝日VS文春の南京事件論争
  6. 「南京大虐殺」に関する論点
  7. 南京事件のドキュメンタリー「兵士たちの遺言」は真実に迫ったか
  8. 通州事件の真実
  9. 南京事件についての学者の分類
  10. 中国と南京大虐殺
  11. 南京事件の資料がユネスコ記憶遺産に
  12. カナダ・オンタリオ州で南京大虐殺記念日?
  13. 南京大虐殺はプロパガンダか?
  14. 「南京大虐殺」論争についての評価
  15. まとめ:南京大虐殺の真実

APAホテルで再燃した「南京大虐殺」論争

2017年1月15日、APAホテルに宿泊したアメリカ人女性と中国人男性の大学生カップルが、中国のSNS「微博」に「APAホテルグループの代表が執筆した、南京大虐殺や慰安婦を否定する内容の本が全客室に置かれている」とAPAホテルの元谷代表執筆の英訳本を紹介した動画を投稿し、それが中国や欧米に一気に拡散され炎上しました。

中国政府がこのホテルを非難し、スポーツ大会に参加する中国選手団の宿泊先となっていたAPA
ホテルから、他のホテルに変更した騒ぎも起きました。

国内でも南京大虐殺を「嘘」「捏造」とする否定派の人たちと、実際に起こったとする肯定派の人達との議論が、マスコミや言論人まで含め再燃しました。
でも多くの人にとっては「南京大虐殺」について、何が事実とされているのか、何が嘘と言われているのか、漠然としています。
再度、検証していき「真実」に迫ってみたいと思います。

出典: http://www.newsweekjapan.jp

APAホテル

出典: http://sekainodaihugou.net

APAホテル代表 元谷外志雄氏

「南京事件」と呼ばれるもの

南京大虐殺について論じる前に、南京大虐殺と呼ばれる一連の話について説明します。

「南京事件」

1937年(昭和12年)12月、日本軍が中華民国の首都だった南京市を占領した際、1か月半から2か月にわたり、当時の日本軍が中国軍の捕虜、敗残兵、便衣兵など、またそれだけでなく南京城周辺地域の一般市民などに対して殺傷や強姦を行ったとされます。
「南京事件」もしくは「南京大虐殺」という、一つの「事件」は存在せず、大規模、小規模の事件のこれらの事象の積み重ねの総称です。

戦後、南京軍事法廷やいわゆる東京裁判で告訴され、主導者の松井石根が死刑になりました。

この事件については、虐殺自体の存否、戦時国際法に違反の有無、犠牲者数が当時の南京市の人口に対して多いのではないかなど、「事実」か「嘘」か、さまざまな点で戦後70年以上経った今も論争が存在しています。

出典: https://ja.wikipedia.org

松井石根

「南京戦」までの経緯

日中戦争が激化する中、蒋介石軍は上海に日本軍をおびき寄せる作戦を取ったため、主戦場は華北から上海へ移りました。日本側も上海派遣軍を送り、日中両軍の激しい戦闘(第二次上海事変)が起こりました。

一方で外務省は、中国駐在のドイツ人外交官、トラウトマンを仲介とする和平調停工作を開始しました。
中国軍の激しい抵抗で、日本側は予想に反して苦戦を強いられたものの、杭州湾に上陸した日本陸軍第10軍が中国の背後を襲い、首都南京方面へ撤退させました。この上海戦は、日本軍に多くの戦死者を出し、日本軍人に中国軍への復讐感情を植え付けたと言われています。

ちなみに海軍は南京を空襲し、多くの住民が南京を出て避難したため、当時100万人いた人口が減少していました。

出典: http://www.geocities.jp

上海派遣軍

南京戦

上海派遣軍は第10軍とともに、松井石根を司令官として改編されました。彼らは和平工作をすすめる外務省や軍中央の方針を無視し、撤退する中国軍の追撃と南京侵攻を独断で始めました。軍中央も現地軍の方針を追認する形で、南京攻略命令を下達しました。

南京へ向かう道で、中国軍は清野作戦を敢行。村を焼き払い、日本軍に何も接収できないようにし疲弊させました。兵站の無い日本軍は飢えと闘い、途中の村々で殺人や略奪や強姦を繰り返すなど規律も乱れました。

日本軍はさらに南下し南京を包囲する前日、蒋介石ら中国首脳部は南京を脱出しました。
日本軍は南京を包囲し、無血開城の通告を行いますが、中国軍が応じなかったため戦闘に入ります。しかし、南京防衛軍の司令官も逃亡し、中国軍の大半は指令系統を失い、攻撃も撤退もままならず、同士討ちも起こり、12月13日に中国軍は総崩れ。南京城陥落となりました。
街から逃亡を図った兵士や市民が揚子江を渡ろうとして、大半が溺死するなどの惨事も起こりました。

南京に入城したこの日から「南京大虐殺」が始まったという話になっています。

侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館

いわゆる南京市内にある「南京大虐殺記念館」です。

建物の前の記念碑や館内には「遭難者300000(30万)人」と書かれ、その数字に「証拠がない」ということもあり、物議を醸しています。
中の展示物は「死体の写真」「被害者の証言」「日本軍の行った具体的な殺し方」などが展示されています。それらが「捏造写真」ではないかという議論も起こっています。

後ほど紹介する朝日新聞記者の本多勝一氏の写真や「捏造説」のある「百人斬り競争」の東京日日新聞の記事を「虐殺の証拠」として展示されており、それもまた議論の対象になっています。

出典: http://nankin.japonismlove.com

南京大虐殺記念館

出典: http://china.org.cn

犠牲者30万人の碑

「真実」は何か。南京大虐殺論争

個々の論点を検証する前に、「南京大虐殺」について長い間、その事件の存否も含めて多くの人によって激論が交わされてきました。
現在でもインターネット上では、多くの人によって作られた、「南京大虐殺」が「捏造」なのか「事実としてあったのか」を含め、検証ページがあふれています。

その中でも代表的な論争の歴史を確認し、論点を整理していきたいと思います。

南京裁判における「南京事件」

南京裁判は1946年に中国国民党政府によって行われた、日中戦争におけるBC級戦犯に対する軍事裁判です。
「南京大虐殺」関連では谷陸軍中将と「百人斬りを行った」とされる3名の軍人が死刑となりました。
この裁判で中国側の犠牲者の根拠となる数字である「30万人以上」が出されました。
「遺体を焼却されるなど証拠を隠滅されたのは19万体、遺体を慈善団体が埋葬したものが15万体」という言葉が判決文に出てきます。
証人が1250名、その中には出廷した米国人2名や埋葬責任者などの実名も判決文に書かれています。
一方で、19万体、15万体の数字の根拠については判決文には記載がありません。
またこの裁判は、被告は一貫して否認し、彼らの関与を示す証人が出てこないまま判決が出されたことなど問題も指摘されています。

また谷中将への判決文や裁判資料や証言は、中国政府の要請によって2015年10月にユネスコ記憶遺産に登録されました。

東京裁判における「南京事件」

東京裁判では、松井石根大将がハーグ条約に反し南京を攻撃し、国際法に反して住民を鏖殺することを日本軍に不法に命じ、数万の中華民国の一般人および武装兵を殺害し殺戮したという罪に問われ、死刑になりました。

こちらの裁判では計20万人という数字が出されましたが、判決文では「10万人以上」と書かれました。
ただ「大虐殺」の明確な証拠がなく、松井自体は虐殺の事実を知らなかったともいわれ、この判決には異論が多いです。

また証言に立ったアメリカ人宣教師マギーの持っていたフィルムは、裁判の証拠として使用されませんでしたが、こちらも2015年10月のユネスコ記憶遺産に登録されました。

出典: https://jp.sputniknews.com

東京裁判

出典: http://www.marino.ne.jp

東京裁判で松井石根に死刑判決の瞬間

朝日VS文春の南京事件論争

東京裁判で初めて表面に出てきた「南京大虐殺」ですが、その後は特に語られることが無く四半世紀が過ぎました。
1971年に朝日新聞の記者本多勝一氏が連載「中国の旅」で南京大虐殺に触れたことで、再びこの「事件」がクローズアップされることになります。

朝日新聞記者 本多勝一「中国の旅」

朝日新聞のスター記者だった本多勝一の「中国の旅」は、朝日新聞に1971年8月から約40回に渡って連載されました。731部隊や強制労働や各地で行われた虐殺など日本軍が行ったとされる「非人道行為」について書かれています。後半に南京大虐殺について触れられ、そこに出てくる「百人斬り事件」や掲載された写真などについて「嘘」では無いかと物議を醸します。

出典: https://www.amazon.co.jp

本多勝一「中国の旅」

文芸春秋 鈴木明「南京大虐殺のまぼろし」

この「中国の旅」に対しては、右翼団体が朝日新聞や本多勝一の自宅に押しかけ抗議するなど物議を醸しましたが、保守系論壇、特に文芸春秋が「中国の旅」に対し徹底抗戦します。「諸君」や「文芸春秋」に山本七平や鈴木明といった作家が登場し、「中国の旅」へのカウンター記事をを書きました。

鈴木明「南京大虐殺のまぼろし」、イザヤベンダサン(山本七平)「日本人と中国人」で、「中国の旅」に記載された「百人斬り事件」について検証し、この話は「捏造」であるという結論を導きます。

鈴木明「南京大虐殺のまぼろし」では、日本軍の「非人道行為」をまとめた『WHAT WAR MEANS』を編集したハロルド・J・ティンパーリが中国国民党顧問の秘密宣伝員と結論付けましたが、この本のタイトルの南京大虐殺については「中国側に、軍民合わせて数万人の犠牲者が出た」ことが「あまりにも政治的」だったため「真実が埋もれ、今日に至るもまだ、事件の真相は誰にも知らされていない」と曖昧な言葉で締めています。
実際に否定しているのは「百人斬り事件」についてであり、鈴木自身が「南京大虐殺はまぼろしだったと主張はしていない」と今世紀に入ってから「諸君」で述べています。

出典: http://www.history.gr.jp

鈴木明「南京大虐殺のまぼろし」

本多勝一、藤岡信勝公開論争  「南京30万人大虐殺の真実」

出典: http://e.kaigo110.co.jp

本多勝一氏

出典: http://kokucheese.com

藤岡信勝氏

2014年11月、「週刊金曜日」と「週刊文春」の合同企画として、本多勝一氏と藤岡信勝氏の書簡のやり取りによる討論を5往復計10回のやりとりを2誌に掲載されました。

発端は週刊文春の記事で『「朝日新聞 「売国のDNA」』と題した記事についてでした。

本多氏は、事実とかけ離れた『南京大虐殺三十万人説』を流布させた人物だ。71年に朝日紙上で連載した『中国の旅』でこう書いている。〈歴史上まれに見る惨劇が翌年二月上旬まで二カ月ほどつづけられ、約三十万人が殺された〉

そして藤岡信勝氏のコメントとして

「この記事は本多氏が中国共産党の案内で取材し、裏付けもなく執筆したもので、犠牲者30万人などは、まったくのデタラメです」

それに対し、週刊金曜日が以下の引用部分を含む公開質問状を週刊文春編集部に送りつけました。

1)コメントにある「この記事」とは、『週刊文春』読者は記事の流れから〈歴史上まれに見る惨劇が翌年二月上旬まで二カ月ほどつづけられ、約三十万人が殺された〉の部分しか具体的にはわからないと考えますが、藤岡さんはこの部分が本多編集委員が結論として書いたのではなく、姜眼福さんの体験の聞き取り部分であることをご存じですか。 2)〈歴史上まれに見る惨劇が翌年二月上旬まで二カ月ほどつづけられ、約三十万人が殺された〉は姜さんの発言のため、発言には下記の注が付けられています。 〈南京事件で日本軍が殺した中国人の数は、姜さんの説明では約三〇万人という大ざっぱな数字を語っていたが、正確な数字はむろん知るよしもない。東京裁判のころの中国側(蒋介石政権当時)の発表は四三万人(市民二三万人、軍人二〇万人)だった。東京裁判判決では一一万九〇〇〇人だが、これは明白な証言にもとづくものだけなので、事実より少ないとみる研究者もいる。洞富雄著『近代戦史の謎』の分析は、三〇万人、あるいは三四万人説を事実に近いとみている〉。 (検証しやすいように、『中国の旅』[朝日文庫版初版1981年12月20日発行]から引用しています) 藤岡さんはこの編注をご存じですか。

それをきっかけに始まった公開討論は書簡のやり取りとなり、計5往復のやり取りが、両誌に2週にわたり掲載されました。
前述の週刊金曜日と週刊文春の合同企画については以下の点が論争になりました。

本多勝一氏は南京大虐殺の被害者は30万人と書いていたか。
藤岡信勝氏の南京事件が無かったという根拠
南京大虐殺はプロパガンダか
などです。

家永教科書裁判と南京大虐殺

高校教科書『新日本史』(三省堂)の執筆者である家永三郎が「教科書検定は日本国憲法違反である」と日本国政府を相手に起こした32年間に渡長にわたる期間裁判として、ギネスブックにも掲載された「家永教科書裁判」でも、南京大虐殺の記述について触れられています。

判決では昭和55年検定分では「虐殺が軍上部機関の命令によって行われたという事実は不明瞭であり、そう読み取られる危険性を修正要求することは理由がある」としながらも、58年検定分では「南京占領の際の中国人女性に対する暴行は、その実数の把握が困難だが、特に非難すべき程多数であり、大量虐殺行為とともに『南京大虐殺』と呼ばれ、南京占領時の特徴的事象とされている」として、「修正意見は学識を誤ったもので違憲である」という判決が確定しました。

出典: http://madonna-elegance.at.webry.info

家永三郎

新しい教科書をつくる会、小林よしのり「戦争論」と南京大虐殺

1993年に自民党内に「歴史・検討委員会」が置かれました。
結論として「侵略戦争ではない」「南京大虐殺と従軍慰安婦は捏造」「それを記載している教科書は問題」「それらを否定する戦争認識を国民の共通のものにするための国民運動が必要」とされました。
ただ自民党が全面に出たら問題なので、学者を中心とした団体を結成し、自民党は資金面でバックアップするとされました。

95年にはSAPIOで小林よしのり氏の「戦争論」が連載され、96年頃から小林氏の他、西尾幹二氏、藤岡信勝氏などの露出が増え、朝まで生テレビや情報番組などで「今の教科書は自虐史観であり、子供たちに日本人としての誇りを持てる教科書をつくるべきである」という主張を繰り返します。

南京大虐殺に関しては「当時の南京市の人口は20万人であり、30万人殺害というのは事実としてあり得ない」「南京大虐殺は東京裁判で初めて出てきた話で捏造である」という主張を繰り返しました。

特に人気漫画家の小林よしのりの影響は大きく、若年層に対してこの主張が浸透することに時間がかかりませんでした。

97年に「新しい教科書をつくる会」が発足され、2001年に念願の教科書採択となります。
この国民運動は内部で対立と分裂を繰り返しますが、インターネットを中心に、彼らが行ってきた主張が浸透してきたと思われます。「ネットで真実を見つけた」という声も溢れており、自民党「歴史・検討委員会」の目論見は、「つくる会執筆」教科書が採用される学校が少ないといえど、大成功だったのではと思われます。

出典: https://www.amazon.co.jp

小林よしのり 「戦争論」

日本テレビ南京大虐殺特集「兵士たちの遺言」VS産経新聞

2015年10月に日本テレビ系の深夜番組で放送された『南京事件 兵士たちの遺言』は、南京占領後の1937年12月16日と17日の2日間、揚子江沿岸で大量の捕虜を殺したという元日本軍兵士の遺品となった日記など、福島県の小野賢二さんが収拾し、証言などを集めた一次資料を元に、同じ隊の人の証言や現地調査を行い裏付けを行い真相に迫る番組でした。
プロデューサーの清水潔氏は番組後に『「南京事件」を調査せよ』という本を出版してます。

それに対し、産経新聞が「『虐殺』写真に裏付けなし」と批判記事を掲載し、日本テレビは産経記事に対しホームページで「虐殺写真と断定して放送はしておりません」と反論、産経が再反論と、論争となりました。
番組のエンディングで出てくる写真が「証拠」として放送されたのか否か、「兵士たちの遺言」の番組動画を再度確認したところ、39分30秒頃をご覧いただければわかりますが、これは日本テレビの主張の通り「証拠写真として断定」はしていません。写真がこの場で撮られたものなのかを、風景と見比べながら赤ペンでなぞり検証している場面という表現が真相ではないでしょうか。

この「兵士たちの遺言」は、相当慎重に取材され、できる限りの証拠を集め、綿密な裏付け調査をして「真実に迫ろう」と検証された番組だと思われます。
否定派、肯定派問わず、ご覧いただきたいと思います。

出典: https://www.amazon.co.jp

清水潔 「南京事件を調査せよ」

出典: http://gendai.ismcdn.jp

清水潔氏

出典: http://blog.goo.ne.jp

産経の記事で問題にされた写真

ナレーションは

「私たちの手元にある一枚の写真。
防寒着姿で倒れている多くの人々。
これが南京で撮られたものならば、後ろの川は揚子江と考えられます。」

「南京大虐殺」に関する論点

「中国の旅」からAPAホテル炎上事件まで、半世紀近くにわたり南京大虐殺について議論が行われ、真相究明に歴史学者からネットユーザーまで参加してきました。特に小林よしのり「戦争論」からの20年間は、この問題については、意見が二分(正確には三分)してきました。

それでは南京大虐殺における、論点と現状を整理していきたいと思います。

南京大虐殺の存在の真実

そもそもの話として「大虐殺」そのものを否定する説や国際法上の合法説などが存在します。
合法説は佐藤和男氏が代表的で、ハーグ条約23条第2項の「便衣兵」や25条の「防守地域」の解釈に寄るものです。

大虐殺そのものを否定する論拠となっているのが、南京安全区の欧米人の記録やその話をもとにしたジャーナリストの記録の信頼性、中国での南京事件の報道はなかったこと、人口が増えていること、日本軍の非行として目撃された事件は合法殺害1件のみ、「大虐殺」を証明する写真がないなどというところです。

しかし学者や記者などの様々な調査や、「兵士たちの遺言」などで、元兵士が自らの「虐殺」経験を語るなど、現在では日本政府を初めとして、右派論壇も含め、虐殺そのものを真っ向から否定する人は殆どいないのが現状では無いでしょうか。

南京大虐殺犠牲者数の真実

最も一般的な論点は、中国が発表している「犠牲者30万」という数字は、当時の南京の人口は20万人だったと言われ、不正確では無いかという議論です。

この30万という数字は南京裁判の判決で出てきた数字です。
「遺体を焼却されるなど証拠を隠滅されたのは19万体、遺体を慈善団体が埋葬したものが15万体」
ゆえに「30万人以上が殺された」というものでした。

一方で、東京裁判では当初は20万人以上という数字が出されましたが、判決文では10万人以上とされています。

これには諸説あり、0から30万以上まで幅広いです。



日中歴史共同研究

日中政府の合意に基づき、両国の歴史学者による「日中歴史共同研究」が2006年から2009年まで行われ、10年に報告書が発表されました。

中国側は南京裁判の30万という数字を崩しませんが、日本側は以下の様な見解を出しています。

出典: http://bensei.jp

「日中歴史共同研究」報告書

日本側の研究では 20 万人を上限として、4 万人、2 万人など様々な推計がなされている。 このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している

学者では、笠原十九司氏は11万9千(兵士8万、民間3万9千)以上で郊外の農村を合わせて20万程度説、秦郁彦氏は4万(兵士3万、民間1万)を上限にしています。


中国の主張する30万は誇張であることは明白だが、「なかった」という主張は「真実」では無いようです。

南京の人口推移の真実

首都だった南京の人口は100万でしたが、日本海軍の空襲やそれによる政府の重慶移転や富裕層の逃亡もあって、避難する人が続出していました。
日本占領時の南京の人口は諸説ありますが、20万から25万のようです。
日本統治後に人口が増えていることで、虐殺自体を「嘘」とする説が多いですが、「安全区内に周囲の大部分の市民が移動した為」というのが「真相」であり、笠原十九司氏によると、南京安全区国際委員会の統治下にあった安全区内での虐殺は殆ど無かったとされています。

同氏によれば、南京大虐殺で被害者数がもっとも多かったのは、人口とは関係ない南京防衛軍の負傷兵、投降兵、捕虜、敗残兵の戦時国際法に違反した処刑であったとしています。

また虐殺には周辺の農村も含まれ、南京市内よりも数が多かったとされています。

出典: http://nankin.japonismlove.com

日本軍の南京入城

南京事件 民間人と兵士の真実

日本の研究者の共通の見解として、南京大虐殺における南京城内での民間人の殺害数は、中国兵に対する違法殺人に比べると圧倒的に少ないと言われています。南京事件報告者の宣教師スマイスの調査でも6千から1万2千とされています。この数を少ないとみるか多いとみるかですが、個々のケースの合計でこの数字の殺害が行われています。
日本軍が到着前の農村でも数万の死者が出ています。
これについては、日本軍によるものだけではなく、南京に逃げ込む中国軍によるものも含まれるという説もあります。

南京事件 便衣兵の真実

兵士が民間人を装って行う戦闘行動、つまり便衣兵は、ハーグ陸戦条約第23条第2項で禁止されています。
日本軍が、元中国兵を約6500-6700名ほど摘発し、処刑したことについても様々な議論があります。
何をもって便衣兵とするかという部分も議論があります。

原則は「軍服の着用」ということであるが、「私服を着て民衆に紛れ込むだけでは便衣兵にあたらず、あくまでも戦闘準備が行われている時」という説と、「私腹を着て紛れ込むだけで便衣兵である」という説があります。
よって「一般人と区別する手続きを明確にすることなく『処刑』するのはとんでもない」という説。「そもそも戦闘態勢に無い兵士を殺していいわけが無い」という説に別れています。

また、これらは合法に軍法にかけられ「処刑」されたという説と、軍法会議無しで処刑されたという説もあり、その手続きの是非についても意見が分かれています。

南京事件 百人斬りの真実

出典: https://ja.wikipedia.org

当時の百人斬り競争の新聞記事

日中戦争(支那事変)初期、大日本帝国陸軍将校の野田毅少尉と向井敏明少尉が、南京入りまでに日本刀でどちらが早く100人斬るかを競ったという記事

本多勝一「中国の旅」の南京大虐殺の記述で、この百人斬り競争についても触れられました。
それに対し、文芸春秋の「正論」では、イザヤベンダサン(山本七平)や鈴木明が反論。保守系の秦郁彦は逆に山本や鈴木の批判内容について反論しました。

野田毅少尉と向井敏明少尉の遺族が本多勝一に対して名誉棄損の裁判を起こし、原告側弁護士に稲田朋美現衆議院議員がつきました。
この裁判は「虚偽であるとは認められない」と原告敗訴となりましたが、一方で本多勝一が裏を取る取材を行っていなかったことなど、原告側の証人から明らかになりました。

野田少尉が百人斬りについて告白したことは事実のようですが、今となっては真相は藪の中です。

南京事件 幕府山事件の真実

南京大虐殺の中でも最も大がかりで代表的な事件とされるのが「幕府山事件」です。
14777名以上の捕虜を幕府山にあった国民党軍宿舎に詰め込んだが、食糧が足りないなど扱いに困ったため、全員殺害したという事件です。

先ほど紹介した「兵士たちの遺言」の番組にも取り上げられた舞台となったのもこの事件です。

出典: http://www.panoramio.com

現在の幕府山

自衛発砲説と虐殺説の真実

炊事の際、火災を起こし、捕虜の半分が逃げ出し、その後逃げた捕虜が攻撃してきたことに、残りの捕虜が反応し暴動を起こしたため、やむを得ず鎮圧したという自営発砲説がありますが、一方で、「兵士たちの遺言」に出てきた陣中日記や証言による話では、火災が起こったことは同じであるが、逃げた捕虜はおらず、当日夜に宿舎で2-3千人を殺害、翌日から残りの捕虜を揚子江沿岸で大量に殺害したという説があります。

その死体はどう処理したのか、それだけ大量の人を殺すのは無理ではないかなど、疑念の声を出す人も多く、真相は不明です。ただ残された一次資料だけが「現在に残された証拠」であり、「兵士たちの遺言」をどう解釈するかによって、意見は分かれるのでは無いでしょうか。

南京事件のドキュメンタリー「兵士たちの遺言」は真実に迫ったか

兵士たちの遺言という番組は、産経新聞が批判したり、ディレクターの清水潔氏がこの取材をまとめた『「南京事件」を調査せよ』がAMAZON売上上位に来るなど、大きな反響がありました。
ネット上では好意的なコメントがある一方、「嘘番組」「兵士のコメントは捏造」「日記に使われている漢字は当時は旧漢字だったはずだ」などということを「検証」したブログまであります。

でもこの「兵士たちの遺言」は、それらを含めた検証であり、史実以外は番組のどこにも「真実」という言葉は使われておりません。
例え、写真や日記や証言が「捏造」であっても、それの裏取りのために現地や公的に残された文書を調査している番組なので、「嘘」も「捏造」も「真実」もないのではないでしょうか。「現在、証拠を検証する事実」そのもののドキュメンタリーだったというのが紛れもない真相です。

産経の記者は「一次資料」について批判していたということになり、番組の趣旨を理解しないまま批判していたということになります。

先ほど貼りつけた動画をご覧いただき、その証拠(証言や日記)が「真実」に迫っているのか、明らかな「嘘」なのかを判断するのか、それは個々にしてもらえればと思います。

出典: http://blog.goo.ne.jp

日本テレビ「兵士たちの遺言」より

出典: http://blog.goo.ne.jp

日本テレビ「兵士たちの遺言」より

通州事件の真実

この20年で南京大虐殺論争が起こると、同時に「通州事件」が語られるようになりました。


南京事件の5か月前、1937年7月29日に、中国河北省通州で中国保安隊によって起こされた日本人虐殺事件がありました。保安隊が一挙に日本人に襲いかかり、居留民225名、日本軍守備隊32名の計257名を殺害したという事件です。

「首を切り落とす」「目をえぐる」など残酷な方法で殺したと言われております。

そもそもこの事件が語られるようになったきっかけについては以下の説が有効のようです。




出典: https://commons.wikimedia.org

通州事件を伝えた当時の新聞

通州事件は1980年代になって"再発見"されました。1985年に中国で南京大虐殺記念館がオープンしたことを受け、「それを言うならば中国人も日本人を虐殺したのではないか」と反論するために通州事件が持ち出されたわけです。同時に日本国内では「日本の侵略に抵抗するためだったのだから」と、通州事件を起こした保安隊を擁護する論も登場します。もともとは論壇の中の議論に過ぎませんでしたが、1998年のベストセラー、小林よしのり『新ゴーマニズム宣言スペシャル 戦争論』によって一気に認知度が高まりました。

ジャーナリストの高口康太氏が現在、一次資料を検証しているようですが、ニューズウィークの取材に対し以下のように述べています。

通州事件というと、「首を切り落とした」「目玉をえぐり取られた」「鼻に針金を通した」など日本人がきわめて残虐な手法で殺害されていたとされます。実はこれらの情報は当時の新聞に依拠するもので、東京裁判で元日本兵が、戦後に事件の生存者も、それぞれその新聞報道と同じ内容の証言をしています。確かに当時の現地日本軍の史料にも酷い殺害があったことは記されていますが、首が切り落とされたとか、目玉がえぐられたとかいった記述は、私が見た限りありません。そのため、そのような残虐な殺害が本当にあったのか、あったとしたらどの程度のものだったのか、改めて検証する必要があると考えています。

まだ調査ははじまったばかりということで、多くの研究者の手による「真相究明」が待たれるところです。

南京事件についての学者の分類

調べれば調べるほど、他にも多くの論点があり、例えば同じスタンスの学者の中でも、細部では議論が分かれているなど、非常に複雑な史実であり、「真実」に迫ることが難しい問題だとわかります。

一口で南京大虐殺、南京事件と言っても、一つの事件では無く、多くの「小規模な事件」の総称であるために、Aは「事実」であっても、Bは「捏造」ということもあり得るわけです。
故に、一次資料の裏付けをして検証する「兵士たちの遺言」のような番組は必要なのではないかと思います。

半世紀にわたって調査が進められ、激論が交わされてきました。
大きく分けると3つに分類されます。

南京大虐殺肯定派

中国政府や中国人の学者は「犠牲者は30万人」というスタンスを崩していませんが、わが国の学者やライターでその説を唱えている人は殆どいないです。先ほど紹介した本多勝一氏と藤岡信勝氏の論争でも、本多氏はあくまでも「注釈つきで中国人のコメントとして掲載した」こともわかっています。

犠牲者は数万から上限が20万まで。でも民間人は1万程度、多くが中国兵に対する虐殺だったとする説です。
犠牲者の人数には幅がありますが、虐殺自体は肯定する。
日中合同研究会や外務省の見解も含め、この考えが主流になりつつあります。

南京大虐殺まぼろし派

南京市の人口が増えていた、目撃者がいない、写真が無い、国民党政府が記者会見で一切「南京大虐殺」について触れていない、報告者や証人の外国人は国民党政府に雇わられていたのでは、など様々な事実や疑念から「南京大虐殺は捏造」というスタンスを取るグループです。
もしくは「殺害はあったが、国際法上合法だった」という学者も含まれます。

歴史学者では少数派になっているようですが、ネット上を中心に国会議員や右派論壇などはこのスタンスを堅持しています。

南京大虐殺中間派

「兵士への虐殺は事実としながらも、民間人への虐殺は無かった」など、肯定派の主張の一部については「事実」として認めながら、全体として「大虐殺とはいえない」などと否定する学者も多く見受けられます。もしくは死者の数を1-2万以下とするなど、少なく見積もる研究者もここに属します。

中国と南京大虐殺

南京大虐殺否定派が「南京大虐殺が嘘である」という論拠となっているものの一つに「国民党政府は300回の記者会見で一度も南京事件に触れなかった」「毛沢東は生涯一切南京大虐殺に触れていない」というものがあります。
実際には当時の外国人向けの英字新聞では触れられていたようですが、それについては「海外には日本軍の蛮行を喧伝し、国民には負けている情報を流したくなかったから」という説もあります。毛沢東の共産党が触れなかったのも「国民党軍の奮闘と犠牲に触れたくなかった」という説もあるようですが、それが真相かどうかは分かってはおりません。

どちらにしても中国政府は、国際連盟での演説では日本軍の蛮行として南京事件に触れるなど、対外的にはこの事件について広めていく一方で、国内的には戦中、戦後を通して南京事件については触れることが無いまま、日中国交回復しました。

南京大虐殺が中国で報じられるのは、1982年の教科書誤報事件でした。
文部省が教科書検定で「侵略」を「進出」に書き換えさせたという各メディアの誤報でした。
人民日報が南京大虐殺について解説をしたのが、初めてといわれています。

その一か月も経過した後、中国政府は日本政府に抗議しました。
それ以来、歴史問題が外交カードとなっていきます。

1985年に南京大虐殺記念館が作られました。この間には教科書問題や政治家の失言などもあり、歴史は外交問題の中心となっていきます。

そして1989年の天安門事件をきっかけに、中国政府は国内に愛国心を植え付けるような宣伝を行っていきます。
石原慎太郎衆議院議員(当時)の南京大虐殺否定など政治家の発言を逆手に取り、歴史問題を国内に対しても「愛国宣伝」の道具にしていきます。
自国の歴史教科書にも近代史が割かれるようになり、国民にとっても「南京大虐殺」は重要な史実となっていきます。

出典: https://www.buzzfeed.com

天安門事件の一コマ

南京事件の資料がユネスコ記憶遺産に

2015年10月、ユネスコは「南京大虐殺」に関する文書をユネスコ記憶遺産に登録しました。
登録されたのは「南京裁判」での検察側提出資料、証言、判決書、ジョン・マギーの映像フィルムなど11点です。
これに対し、日本政府は「中国はユネスコを政治利用している」と批判し、ユネスコに対しても分担金・拠出金の支払いを一時保留する措置を取りました。

出典: http://asiareaction.com

ユネスコ本部

カナダ・オンタリオ州で南京大虐殺記念日?

2016年秋のオンタリオ州議会で、旧日本軍が南京を占領した12月13日を「南京大虐殺記念日」と定める法案が審議されました。早ければ2017年内に成立します。
それに対し、自民党の複数の有志議員が同州議会に対し、「関係国間で好ましくない論争を引き起こし、日本人や日系カナダ人への風当たりが強くなり、政治的な緊張が生じる」などと懸念を伝える意見書を送付しました。

出典: http://jp.minghui.org

トロント州議事堂

南京大虐殺はプロパガンダか?

戦時中は南京事件は、国民党政府からは、国際世論に訴えかける目的で、プロパガンダとして利用されてきました。
これには誇大宣伝も多く含まれ、国際連盟での演説では、その後の研究で「捏造文書」とされている「田中上奏文」という、「日本が世界征服するためには中国、満州、蒙古を征服する」旨の文書が使われました。

また『戦争とは何か』のオーストラリア人の著者ティンパーリは国民党中央宣伝部の顧問でもあり、そのような「工作員」を使って「南京大虐殺」の「デマ」を国際的に広めていったという説もあります。
これについては国民党の顧問になったのは『戦争とは何か』のずっと後の事であるとか、ティンパーリは当時南京にはおらず、証言集『戦争とは何か』を編集しただけに過ぎないのだからプロパガンダとは無関係といった反論もあります。

戦後のGHQの占領政策でも、日本軍の蛮行を喧伝することで日本人に「認罪」を促そうと、南京事件が利用されたこともあります。

戦後は南京大虐殺について触れられなかったが、天安門事件以降は国内で「反日」に利用されてきたという説もあります。

そしてしばしば外交カードにも利用されてきました。

そういう意味ではプロパガンダとしての側面は否めないし、誇張も含まれている部分もあるでしょう。

ただ「プロパガンダ」の一面と「史実」とは分けて考えるべきで、プロパガンダ=嘘とはならないことに注意する必要があります。

「南京大虐殺」論争についての評価

未だに論争の続く南京大虐殺論争ですが、論争自体に対する批判が多いようです。Wikipediaに見つけましたので、参考まで。

心理学者の中山治は、「互いに誹謗中傷、揚げ足の取り合いをし、ドロ試合を繰り広げている。事実をしっかり確認するどころの騒ぎではなくなっているのである。こうなったら残念ながら収拾が付かない。」と論評している[348]。 政治学者の藤原帰一は、論争は「生産的な形を取ることはなかった。論争当事者が自分の判断については疑いを持たず、相手の判断を基本的に信用しないため、自分の偏見を棚に上げて、相手の偏見を暴露するという形でしか、この議論は進みようがなかったからである。(中略)新たな認識を生むというよりは、偏見の補強しか招いていない」と論評している[349]。 SF作家の山本弘は、「捕虜や民間人30万人の殺戮」はなかったが、日本軍は捕虜や便衣兵(ゲリラ)など数万人の虐殺を行ない、間違えられ民間人も含まれていて国際法違反としたうえで、この論争はイデオロギー論争であり、左寄りの論者(30万人虐殺肯定派)は、中国人の犠牲者数を多くしたいために、「南京」「虐殺」の範囲を広くしようとし、右寄りの論者(30万人虐殺批判派)は、中国人の犠牲者数を少なくしたい(なかったことにしたい)ために「南京」「虐殺」の範囲を狭くしている。論争の当事者達は歴史の真実を知りたいのではなく、自分たちの信条を正当化したいだけである、と論評している[350]。

この3名の意見は的を得ていると言わざるを得ません。
歴史の「真実」に迫るには、「嘘か事実か」という議論を行う前に、まずは出来る限りの証拠となる一次資料を収集し、それらの裏付け作業を行い、様々な事象の整合性を検討しながら、真相究明を行うしかないと思われます。
その時代に生きていない現代人が、歴史の真相に近づけるための唯一の方法です。
それをイデオロギー闘争にしてしまうと、自分の主張に都合の良い事実しか目を向けなくなり、「嘘か真実」の2者択一、もしくは足して2で割るような結論しか導けません。

そういう意味では「兵士たちの遺言」のスタンスは正しいと思うのですが、それに対しても批判が入るという現状では、歴史の真相究明に近づけることは困難極まりないのではないでしょうか。

まとめ:南京大虐殺の真実

「南京大虐殺」ほど、論点が複雑で、個々の論点が学者によっても異なり、感情論によって語られる史実は他にないでしょう。
これほど多くの論点がありながら、「全肯定」や「全否定」の論客が溢れる話題も、他に無いかもしれません。

一つ一つの一次資料に対し、検証を重ねていく。それだけが真実に近づける唯一の方法であることを改めて痛感します。


最後に「兵士たちの遺言」を見た筆者の感想を書いてみたいと思います。
証言をした元兵士は、どれも普通の人に感じました。
その人たちが「本物」であり、証言も「本当」であるのなら、普通の人が極限状況に置かれると、残酷なことも平気で起こせるようになるのだと。
それは誰もが「虐殺」の加害者になれるのだということだけは強く感じました。

それが歴史の「真実」なのではないでしょうか。

関連するまとめ記事

NATO
NATO

人気の記事

人気のあるまとめランキング

新着一覧

最近公開されたまとめ